対談2
校長・伊藤正徳先生(聖徳学園中学校・高等学校) x 古新舜(「シネマ・アクティブ・ラーニング」考案者&ファシリテーター)
(1)アクティブ・ラーニング時代の教育実践
古新
本日は伊藤先生よろしくお願いします。
伊藤先生
こちらこそありがとうございます。
古新
長年、シネマ・アクティブ・ラーニングを使っていただいていて、私もこの節目で伊藤先生とお話ができるのはとても嬉しいなと思っております。
伊藤先生
こちらこそいつも本当にご指導いただいてありがとうございます。
古新
こちらこそ。まず、御校が大切にしている教育理念をお伺いしたいと思います。
伊藤先生
はい、やはり最終的にはしっかりとした、世界に通用する人になってほしいということだろうなと考えています。ただ、一番大切にしていますのは、やはり子どもの可能性をどんどん引き出してあげること。そのために我々がすべて答えを用意してその枠にはめるのではなくて、彼らの自由な発想、考え方、それをどうやって引き出して、それをどうやって伸ばしてあげるかというところ。そこに一番、力を入れているところです。
古新
なるほどですね。その伊藤先生のお考えとかというのは、例えば、この時期から意識し始めたみたいなのはありますか。
伊藤先生
特に私が校長を拝命して今6年目(2020年12月時点)ですけれども、校長になる時に、その頃はまだ「アクティブ・ラーニング」という言葉も、ようやく出始めた位の頃ではございましたけれども、これからの社会が大きく変わる中で、知識を与えるということだけでいいのだろうかと考えました。今回のコロナの問題もそうですけれども、何が正しいか全く分からない、そういう解決方法を探さなきゃいけない。言うなれば、答えのない問いに間違いなく、生徒たちは向かっていかなきゃいけない。その時に私たちが全て答えを用意し、生徒がそれを暗記し、入試でそれを吐き出すということで、激変していくであろうこれからの社会に生徒たちが主体的に関わっていくことができるのか。ですから、どんな時代、どんな環境になっても、自分でしっかりとそこで生き抜いていく、そこで主体的に活躍できる、そういう生徒になってほしいと強く思うようになりました。そのために、校長になった時から少しずつ教育改革を始めたところでございます。
(2)「シネマ・アクティブ・ラーニング」を取り入れて学校はどうなった?
古新
なるほどですね。その一環で、「シネマ・アクティブ・ラーニング」を導入いただきましたけど、当初はどうでしたか。映画という授業の切り口というのは?
伊藤先生
ご縁があって、監督に来ていただいて、本当にすごい回数を学校に通っていただいて、生徒たちをご指導いただきました。やはり、まず一つは、映像という表現、これはとても大事なんだろうなと考えています。言葉で話す、文字で話す、いろいろな型がありますけれども、やはり映像というものの、相手が受けるインパクトというか、それが非常に大きいでしょうし、生徒たちも、もう今はYouTube世代でさまざまな表現方法を駆使するのが当たり前になってきています。ですので、もちろん文章を書く、それも大事ですし、それからプレゼンテーションをするということも大事なんですが、そういうものを全て合わせたものが、きっと映像による表現なんだろうと考えた時に、たまたまご縁がありまして、“映画を創る”あぁこれは素晴らしいことだなぁと。
古新
「シネマ・アクティブ・ラーニング」を取り入れる前と後で、学校ではどんな変化がありましたか。
伊藤先生
やはりですね、生徒たちが確実に変わってきているかなというふうに思えます。今回もですね、コロナ禍で、普通のいわゆる文化祭ができないので、オンラインとリアルを併用した文化祭を行ったわけです。私たちが想像した以上に積極的に関わって、オンラインの作品を作ってくれたりするのですが、一方で全部オンラインでいいのかと。やはり自分たちの同じ学年とか仲間たちとで、リアルな目で見たいよねというようなことを主体的に考えられる、そういう生徒たちが出てきました。例えば、学校にお客様が来て、何かお話をしなきゃいけないとか、授業を見られることとか、そういうことがあっても全然臆さない。人前で話すということ自体がそんなに苦ではないですし、逆に言うと、そういうことが好きである。そういう生徒たちが非常に増えてきたかなと思います。やはり日本人は、人前で自分の意見を伝えるというのがなかなか苦手なのですが、そういうところでは本校の生徒たちは積極的にそういうものを表現できる、むしろそれがやってみたいという生徒たちが確実に増えてきたなと感じております。
古新
なるほどですね。初年度私が僭越ながらご指導させていただきまして、御校の場合は私のプログラムを十全に学校様で取り入れていただきながら、変容やカスタマイズしていただいている。これは私自身がすごくやりたかった教育プログラムの在り方なのですけれども、御校の場合は、どのような感じで本プログラムを学内に馴染ませていったのでしょうか。
伊藤先生
まず大切なのは、先生方にもご理解いただかなくてはいけないかなと。いくら良いプログラムでも、先生方、それから生徒たちが、つまらないよねとか、そんなこと意味あるの?ということになってしまっては、本当にただ形だけやってしまいます。いろいろとそういうプロジェクトをやる時にそういうことは得てして起こりがちなのです。教員にとってまず大切なのは、生徒たちが楽しんでいる姿を実感できることです。次は何をやろうかとか、こういう作品を作ろうかと楽しそうな子どもたちの姿を見て、あるいは子どもたちの作った作品を観て、なるほどこれは良いプログラムだな、素晴らしいなと教員も感じてくれるようになりました。まず子どもたちがどういう表情をしているのか、ということがやはり大切なんだろうなと。従来型のどうしても知識を覚えさせることを重視する先生方もいらっしゃいますけれども、子どもたちが変容すれば、やっぱりこういうものも必要だなというふうに感じております。そして、シネマ・アクティブ・ラーニングは、当初本校ではICTという特設科目の中で行っていたんですけども、今はICTだけではなくて、教科を横断した多くの教員が関わる広い取り組みに進化してきています。
古新
それは大変嬉しいことです。教員の方々も育つとか、教員の方々も一緒に参画をするというのは、御校の特徴なのかなと思いますけど、これはいかがですか。
伊藤先生
最初はですね、本当に一部の教員だけで始めたわけですけども、それが今や教科を越えた取り組みに広がっています。そして、今度の新しい学習指導要領の中でも、教科横断型ということが言われておりますが、日本の学校教育というのは、これまでは、国語は国語、数学は数学という形で、どうしても各教科に関することにならざるを得ませんでした。お互いの教科の中に、横断した関わりが無いわけです。幸いこのアクティブ・ラーニングを、映画制作の形としてさせていただいて、大きな変化が起きました。例えば、当然映画を作るためにはシナリオが要りますよね。そうするとやっぱり国語科の力が必要ですし、例えば背景の音楽を作る、それは音楽科に担当してもらうとか。であるいは、最初は実写だったんですが、今はクレイ粘土を動かすコマ撮りの動画という形に反映してきたわけですけども、それは美術科の授業でやってもらうとか。あるいは、単に自分たちの楽しいことを作ろうねじゃなくて、やはり何らかの問題でその映画を作ることで社会との関わりを持って欲しいということをしております。そこでSDGsをテーマに映画を作っていますが、こうした課題については、理科とか社会の先生方のご協力を得るとか。ということで教科を横断して、そういう1つのプロジェクトを作っていこうということになりました。そして、生徒の取り組みに教員も教えられることになり、先生方が、あぁこれはやっぱり素晴らしいプログラムだから協力して一緒にやろうという風に変わってきました。生徒の取り組みが教員を変えたという点で、今一番うまく進んでいるのが、この「シネマ・アクティブ・ラーニング」だと思っております。
(3)自分らしく社会で活躍できる学びを届けたい
古新
先生のお言葉の中で、私自身も大切にしているのは、子どもたちや学生さんたちの社会との繋がりにおける学び。自分ごとに取り組むとか、社会への関心をいかに醸成するか、というのは私自身も教育活動でとても大事にしているところなんですけれど、その辺が御校でも大切にされているっていうのは、私自身すごくシンパシーを感じます。一方、伊藤先生からすると現代社会、先ほども話がありましたけれども、子どもたち、学生たちの社会とのつながりはどう捉えておりますか。
伊藤先生
最近は日本全体で教育が変わりつつありますけども、一昔前は要するに社会は悪であるとされていました。ですから出来るだけ子どもたちは、社会と関わらさず、純粋培養してこうねと。そういった社会との関わり合いは、大学入試が終わってその後から関わっていけばいいと。例えばアルバイトをしちゃいけないとか、夜こういうことしちゃいけないというのは、学校の校則で細かく決まっていたりしているわけです。ただ、前の社会とずっと同じならば、社会のことは社会に入ってから勉強してもいいでしょうし、お父さんお母さんの体験がそのままお子さんの体験として引き継ぐこともできたのです。ただ、今の時代は社会が我々の想像以上にすごい形で動いているわけですね。ですから、例えば我々教員の体験だけでも、あるいは、お父様お母様の体験はもう、子どもたちの時代には古い体験になってしまう。そういうことを考えた時には、常にやはり、これはもう小学校からでも、何らかの形で、社会と関わっていって、そういう社会の変化をやはり、きちんと自分なりに吸収していくということが必要です。そういう社会とつながる体験がないと、それこそ就職活動をする時に、目が点になってしまうような生徒になってしまうかなというふうに思っております。
古新
単に大学受験を目的として勉強をしても、その後に何を目指したらいいかわからないという学生は今でもたくさんいると思います。受験勉強を目的にするのではなく、自分たちがどんな大人として社会で活躍していきたいか、どんな自分なら自分らしく生きられるか、そういう発想の教育は現代社会に不可欠だと思います。
伊藤先生
私たちの学校はやっぱりできるだけいろんな形で社会と関わるということを大切にしています。今回の映画制作もSDGsがテーマなのですが、例えば、環境問題に気をつけようとかいうことを子どもたちは映画を通して訴えるわけですけれども、これが例えば国語のテストの模範解答を作ろうとかいうことだけであると、そこで終わってしまいます。でも、その映像を作る中で、それを見てくれる人たちに自分の気持ちをアピールしていきたいという気持ちがどんどん強くなっていきます。他の人にも分かって欲しいと思うようになります。そして今は、映像は世界に幾らでも発信できるわけですし、もっともっと広い世界とつながることができます。やはりこの変容する社会、それをできるだけ早い時から子どもたちに体感させるということはこれからの子どもたちの未来にとっては絶対に必要なことだと感じております。
古新
なるほどですね。従来型の教育というのは一人で黙々と試験勉強とか宿題をやって100点を目指していくっていう発想でしたけど、今は社会が変容していく中で、一つのキーワードとして一人じゃなくて、皆さんと共創していく、共に創る共創というのは一つのキーワードなのかなと思っているのですけれど、伊藤先生としては皆とこう共に創る、相互扶助みたいな考え方って如何ですか。
伊藤先生
先ほどのSDGsもまさにその理念というのは、皆でこの地球を守っていこう、世界を守っていこうという、そういう発想だと思います。社会の構造自体が、例えば、昔は一人で黙々と仕事をしていればいい、勿論そういう仕事もありましたけど、現在ではある程度はやっぱりチームを作ってやっていかなきゃいけないかなというふうには思うわけです。で、今の日本の世界を見ますと、自分さえ良ければいいとそういう主義主張も一方では強くなっております。しかし、それは不味いわけです。世界のいろいろな諸問題を考えるためには、考え方の違いを越えてそこを乗り越えなきゃいけないという、世界が大きな選択肢に迫られるような時代に入っているかと思うんです。
古新
正解が一つに決まらない時代だからこそ、自分の主張ばかりではなく、相手の意見に耳を傾け、その考えを受容していく姿勢は、社会で生きていく上で大切なあり方だと思います。合理的に物事を考えるだけではなく、相手の気持ちを慮る、そういった情動性の大切さが、教育界でも益々着目されていくと感じています。
伊藤先生
やはり自分一人じゃなくて、皆で一緒にやっていく。当然、このプロジェクトを進める上で、そこには価値観の違いとか、映画一つ作る上でいろいろな考え方あるんですけれども、その中でたくさん話し合いをしながら、どうしていくかということを考えるということは、まさにこれからの世界で、最も大切なことだと思います。そして、例えば一人で映像作って、それで自分で良しとするのではやはり意味が無い。やはり皆に協力していく、そしていろんな考えをそこに取り入れていくということが実は、「あ、君の考えを取り入れると、ここのシーンが良くなったよね」みたいに、君のこういう意見でそれでもっともっと良くなったよねということで、自分一人ではできないことが他の人との協力でより良くなっていくということをまさに体感するそういうプログラムではないかなと私は思っています。
(4)映画祭という成果発表の場で生徒がお互いの達成感を噛みしめる
古新
私も作品を拝見させて頂いて、『聖徳映画祭』(学年末の最後に行われる学年全体での成果発表会)というのを開催していただいて、やっぱりこう、子どもたちが発表し、自分がプレゼンテーションをして、それが完璧じゃないけれども、ああいう場でちゃんと最後までやったよという、そういうところを評価しているという御校の姿勢を私はとても共感をするところなんですけれど、先生方もやはり、そういうふうに作品の良し悪しではなくて、最後までやり抜くことを大事にされているのでしょうか。
伊藤先生
勿論、監督に観ていただいて、あらら? というような作品もあるかと思うんです。ただ既存の学びとは、評価の考え方が異なると考えています。既存の教科であれば国語が10点とか理科が20点とか、そういう点数で評価されて、ある程度そこで結果を出さないといけない。どうしても我々は結果というところを非常に意識してしまいがちです。特に学校の先生というのはテストをやって、点数をつけるという性のもと、ずっと人生歩んできていますから。ただ、やはり大事なのは過程であると。どうしても我々はその結果だけを評価しがちですけども、そこの過程、そこで何を学んだのかというようなこと、それがやっぱり大事なのではないかなと。ですから、今までの日本のその評価方法をですね、基本的に減点法で100点からどんどんどんと間違えれば減らされる。そういう評価ですので、どんどん間違いを恐れてしまう。そういう生徒たちがどんどん増えてしまう。シネマ・アクティブ・ラーニングでは、ここは足りないけど、ここは良かったよね、きっとこういうことで苦労したり、工夫したんだよね、という形でその映画祭では評価をしていただいて、監督からも温かいお言葉をいただいています。それで子どもたちが作品作成のプロセスを評価していただくことで、また自信を持つという事が大事かなというふうに思っております。
古新
私もやっぱりこうプロセスを見させていただくと、子どもたちが笑顔で楽しむ、そしてもちろん時には葛藤とか対立とかもあるんですけど、それを乗り越えて、子どもたちが成長する姿を見ていくとなりやはりその表面上の結果だけじゃない、乗り越えたみたいなところってとても大切だと感じます。
伊藤先生
はい。要するに現在出ている結果、今の評価がもしかすると時間が経つと違うかも知れません。今良いと言われていることが、将来ではそれは間違っているかも知れません。今間違っていることが、将来にとっては実はすごく大切なことになるかも知れない。ですので、そういったことを考えたとき、冒頭にも申しましたけれども、何か型に入れて、先生方の思うように、保護者の方が思うように、子どもたちをリードするという社会が間違いなく終わってしまう以上、自分の人生を自分でやっぱり切り開いていく力を付けなければならない。そのために、このような「シネマ・アクティブ・ラーニング」のように、自分で情報を集め、みんなで議論をして、自分の意見をもち、みんなで作り上げる、他者に発信していく。こうした取り組みは、これから人生に役立つと思いますし、ある意味では社会とか企業とかのプロジェクトでもおそらく同じだと思います。