東日本大震災から10年が経ち、そして新型コロナウィルスの蔓延で、私たちは既存の当たり前がそのままでは通用しないことを確認させられました。社会が今まで積み上げられてきた成果主義や能力主義が限界に達し、私たちは一人ひとりが『関係性』を如何に育んでいくかが問われているようになりました。
日本は戦後から昭和の時代、アメリカの思想が突然流入し、何もない状況から日本を立て直そうとひたすら自助努力をしてきました。そのなかで、多くの人たちが物質や人間だけが世界を司るものであるかのように錯覚をしてしまいました。しかしながら、日本は元来、自然への畏敬やモノへの感謝など、至るところに人と人、そして人と非人間との対称性を尊びながら、持続可能な関係性を生み出してきた歴史があります。
盲目的に経済の成長だけを追い求め、競争に執着をした結果、自分たちのアイデンティティを見失い、不確かな時代を生きる上での柔軟性や即興性を欠いてしまっている現代社会。アートは単に美しいとか感動したという芸術性だけを担うのではなく、具体的な事象に取り囲まれて思考が停止してしまった自己を揺れ動かす原動力になるのだと考えます。
アートが持つ抽象性によって、私たちは個々人が抱える考えや概念を一旦鳥のような視点で俯瞰し、解体をし、リフレームをしながら多面的に考察をすることができます。そして新たな価値を帯びた視点を、個々人の実生活へと還元をさせていく。このように、アートは埋もれた可能性を引き出す有用なきっかけになりうるのです。Society5.0 時代、テクノロジーが急速に発展するなかで、定量的なものでは捉えることができない潜在的な人間の精神性こそ、不確かな時代を生きる上でのキーワードになります。
またアートとは、特定の人間の頭の中だけで生み出されるのではなく、囲まれる人やモノ・環境などのネットワークから創造され、それら作品をアクター(成員)同士が互恵的に享受し合うことで、見えない関係性は萌芽され、確かめられ、そして深まっていくのです。アートとは、完成された作品単体を意味するのではなく、鑑賞者や体験者と共に紡がれる集合体な相互行為なのです。
コスモボックス株式会社は、けっして映画を創る会社ではありません。上記フィロソフィをもとに、映画・演劇・小説といったアートを通じて、共同体としての結びつきを育んでいきます。アートを人と社会との対話の象徴と捉え、アートが創発するイノベーティブな価値を多様的に共有し、そこから自分たちの可能性やアイデンティティを見出していく。そのことで、個々人の生きていることへの感謝が自然と紡がれていき、一人ひとりが幸せにつながるプロセスがデザインされていく。当社がいま・ここに存在している意味はここにあると信じています。